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それぞれの禁煙エレジー

探偵ハリーの半分ハードボイルドな日常 Part2
TOP探偵ハリーの半分ハードボイルドな日常 Part2

研究所

研究所

心理カウンセラー 佐伯 礼子のハート&マインド研究所は、最寄りの駅からバスで15分程度のところにあった。
バスを降りると、閑静な町並みで、普段雑踏に住んでいる俺にとっては、東京にこんな静かな場所があることに少なからず驚いた。

研究所の住所は、あるマンションの一室を指していた。研究所といっても、自宅のマンションを使ったプライベートオフィスといったところか...

ドアを開けて中に入ると、例の女性、礼子が出迎えてくれた。まるで古くからの友人であるかのような目だ。

「何か飲みますか?」

俺がコーヒー、というと、礼子はキッチンの方へ消えていった。

コーヒーが来るまで、俺は近くの椅子に腰掛けて、部屋の様子を観察した。
十畳ほどの、白く温かみのある部屋。大きな観葉植物。壁に何枚かの絵。ハーブか何かの植物の香り。それと音源は見えないが、どこからか波の音にのせて静かな曲が流れている。
あとは本棚、カウンセリング用なのか大きめのテーブルセットと、パーティションの向こうに簡易ベッドが見える。
シンプルだが、部屋全体に、所有者のセンスと愛着が感じられた。

お茶が運ばれ、俺はコーヒーを、礼子はハーブティーを飲んだ。

「偏見かも知れませんけど...」
礼子が切り出した。

「カウンセリングと聞くと大抵の男性は敬遠するんです。来るかどうかは正直半々かな、と思っていました。」
俺はうなずき、礼子は続けた。

「私たち大人、特に男性は、子供の頃からがんばること、弱音を吐かないことを繰返し教え込まれます。親や周りの人たちもそうやって大人になってきたわけです。
多くの人は、自立しがんばるために、自分の感情を切り離し、苦しいとか悲しい、つらいという感情に向き合わないようになります。苦しいとか悲しい、つらいというのは弱い人の感情、と言わんばかりにです。」


「私はがんばることがいけないといっているのではありません。ただ自分の気持ちを余りにも切り離してがんばり続けると、楽しさや喜びの感情も感じることができなくなります。最後には切り離していた感情が爆発するか、爆発しないまでも病気になります。」

礼子は部屋にある絵の一枚を指差した。そこには海に浮かぶ巨大な氷山を横から見た絵がかかっていた。

「私たちの心をあの絵の氷山に例えると、海面から出ている部分が私たちが意識できる部分です。私たちが意識できる部分はほんのわずか、外に出ている分です。
心のほとんどの部分は海の中、つまり意識することができません。潜在意識とか無意識と呼ばれている部分で、逆に言うと私たちのほとんどは、この部分に支配されているわけです。」

礼子はハーブティーを飲み、一呼吸置いた。

「ハリーさん、私の見立てでは、あなたの病気は過去にあった感情的なしこりが、何かのきっかけで、開放されようとして噴き出した結果ではないかと思います。」

礼子は、あの切れ長の瞳で俺の目を見た。その瞳には自信と、目の前の人を救おうとする意志の強さに満ちていた。

「電話で症状はお聞きしましたから、大体の様子はわかっています。何でも構いませんから、思い当たることを話していただけますか?」

今度は俺の番、という訳か...
俺は一瞬目を閉じ、そして覚悟を決め、話し始めた。今まで人に話さないで来た、あの出来事のことを...

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